大阪にはかつて「花街」と呼ばれる歓楽街があり、代表的なものは北新地、新町、堀江、南地(なんち=現在のミナミ)の4つありました。昭和10年頃、芸妓の数は北新地で500人、新町900人、堀江500人、南地は約2000人を抱え、日本最大の花街としてにぎわっていたと言われています。とくに、ミナミは「南地五花街」(宗右衛門町、櫓町、坂町、難波新地、九郎右衛門町)としてエリアも広く、お茶屋や高級料亭、料理店、旅館など格子づくりの建物が軒を連ね、日本で最も活気がありました。道頓堀川から北の島之内側は高級な街、その対岸の南岸は庶民的な社交の街と位置づけられ、中でも「宗右衛門町」は最も格式が高く、「大和屋」「富田屋」といった豪華なお茶屋が繁盛していたと言われています。しかしながら戦後、大阪万博の頃をピークに減少し、今では芸妓はミナミに1名、北新地に7名のみ。お茶屋の存在を知らない人も多いのではないか?と思います。我々は南地を復興し多くの芸妓が賑わう南地に出来る様プロジェクトを立ち上げて活動をしております。